ラーメン最遊記という漫画を読んだ。
ラーメンのカリスマ、ラーメンハゲこと芹沢が
若手ラーメン屋に押されてだんだんむなしくなり、売上が落ち、アイデンティティが揺らいでいくことからスタートする。
自分ではどうしても取れなかったミシュランの星を後輩がとったりする。
同年代のラーメンのカリスマがラーメンに疲れて引退していくのを見送ったり…
芹沢は自信をなくしてしまう。
でもラーメンの対決の中で、
ほんとに自分がやりたかったことはただラーメンを自由に作りたいだけで
カリスマとか天才とかそういうのはどうでもよかったと気づいた。
どうでも良いのにのにいつのまにか
レッテルにしばられていた。呪縛
ラーメンのミシュランなんて、ラーメンに詳しくない海の向こうのヤツらが勝手に言っていることなのに、と。
ただ好きなラーメンつくったり、新しいラーメンの枠を作りたい、ってことでラーメンハゲの芹沢は
社長をいったんやめて、
新境地でラーメン作ったりするのだった、、、
というエピソード。
なんかこれが凄く胸に響いた。
私はカリスマでは全然ないけど。
私は新会社に入ってからどうにもこうにもやる気が出なくて、子供がいるせいなのかな、年齢とか歳のせいかなと思っていた。
でもひとつはレッテルで自分を縛って、それを見せないようにずっと演じ続けていたのも大きいのでは無いかなって。
子持ちでも子持ちだと悟られないよう
バリバリできるようにしなきゃとか。
主婦目線がわかるアピールしなきゃとか
専門家としてそれらしいことを言わなきゃとか
この大きな会社の正社員として上に行きたいことをアピールしなきゃとか、、、、
とにかくレッテルというか。目標とレッテルがごっちゃになってて。
いちばん私がやりたかったのは、考えなくちゃいけなかったのは、、、
私は自分の好きなように、
そんでお客さんの話聞きながら物作りするのが好きだって言うこと。
その為に仕事を誘導するくらいの気持ちでやっていてもよかったんじゃないかなってこと。
なんか自信がなくて、周りに合わせていたら
特技を潰して、苦手なこともやってみますってなったら上手くいかなくて
メンタルも体調もくずしやすくて
なんにもできない人になってしまった。
そんでやる気がでなくて、仕事は全て「やらされている」仕事になっていった。
周りで、立ち振る舞いが良くない人見るのがすごく嫌だったけど(会議で必ずカメラオンしないとか発言しないとか、仕事の担当持たないとか)
でもそれも私の中の「私はギリギリの中やってんのにずるい」って気持ちなんだろうな 。
他人は関係ないよね。
この会社の前は、派遣だったので好き勝手していて楽しかったし楽だったし、
その仕事が逆に評価もされていた。
この会社に合わせすぎてた。
悪い評価になったとしても、私の専門のことわかる人なんてこの会社にどうせ誰もいない。
ミシュランと同じく気にする必要ない。
気にする必要があるのは、まず自分が長期でこの仕事出来るメンタルが保てるか。そんな仕事なのか。
私のやってて楽しいこと最優先でしてみる。
意外とそれが成果に繋がってくる気がする。
苦手でやってる事は深追いできない!!
楽しいこと探して、こうかがでるようになったらそれを自分の型にしてメニュー化する。
自分が何できるか、あらためて考えてみる。
しがらみに負けない!!!!
育休中に失った自信がここまであとを引いている気がする。周りに迎合しすぎた。
私は1人でもできるようになる。
大学生のあのころみたいに全部全部1人でやって、 応援してくれる人が1人2人だけでも全然良かったじゃないか。
色々削ぎ落とす。
肩書きいらない。