年の差二人育児のmu日記

7学年差育児の育休中アラフォーです。

産後うつと、産後の家族関係の悪化を振り返る(2025.7月下旬〜8月頃)

muです。
現在は産後半年たっています。
一番辛かった頃のことを当時のメモと共に書きます。

この頃のことを言葉にするのが辛くて、ブログをずっとかけていなかったな、という気持ちを思い出しました。

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娘との壮絶な関係悪化
産後、娘とも久しぶりに家であえて嬉しかった。
娘は、ママは赤ちゃん産んだからようやくまた一緒に色々なことができると思っていたんだと思う。
事前に、産後一ヶ月は色々無理だよってことはたくさん話していたけど、
今までずっと一人で甘々で育った、癇癪もち六歳が全てを理解するなんてことはできない

一番大きな軋轢はお風呂だった、
産後は一ヶ月間湯船に入れない。

娘とは、妊娠中毎日一緒にお風呂に入っていた。
そこだけが大切な接点だった。
お風呂のことでので凄まじく関係が相当悪化してしまう時期がありかなり辛かった。
(いっしょに入ってわたしはシャワーとかもNG)
凄まじいママ拒否が始まっていく



退院後の生活 一週間後の一番辛かった頃

赤ちゃんの退院は月曜だった。
夜は夫が赤ちゃんを見て、日中は全て私が面倒を見る。
その間おっとは休むか寝るという生活。

きついながらも平日は何とか回っていた。
娘は小学校と学童。

しかし休日をみくびっていた。
休日は娘が家にいて、
しかも運の悪いことに最初の休みは三連休だった

深夜寝れてない夫を、娘は朝早くから起こし、
昼間は遊びに連れ出せと大騒ぎ。

ママとは絶対に遊びたくない、パパじゃなきゃ嫌だと叫ぶ
寝てないとかそう言うことはまだ理解できていない。
この時、両親含め頼れる人は誰もいなかった。

寝れない夫がものすごくひどい疲労状態になっていき
口からは辛辣な言葉ばかり出てくる。
神経も過敏になりさらに寝れなくなる。

娘のママ拒否もひどいもので、ママがいかにきらいかを大声で叫んでくる。
産後の様子が嫌なようだった。
いつもなら適当にながせたとしても、産後の弱った独特なメンタルにはあまりにも突き刺さる。

どこにも居場所がなかった。追い詰められていた。
誰もこの赤ちゃんもいらないんだ、嫌がられているのに産んでしまったんだ
娘にとっても私がいない方が幸せになれるに違いない。
私と二人で死んだ方がいいのでは、とその頃頭に浮かんでいた。
しぬ方法がわからなかったのはよかった。

でも、自分はもともと神経的に自分が病気だと言うことを知っているし、
産後鬱のこともしっかり病院に聞いていたので、ちゃんとこれが
「おかしい思考になっている」ということはすぐにできた。
そして第三者が必要なこともすぐにわかった。
(崩壊する家庭は第三者を入れない家、という)


まず市役所の母子センター的なところに電話をした。
自分がおかしいことを話すことができ少し落ち着き、
翌々日あたり、すぐに保健師さんが訪問してくださった。
(早めの新生児訪問として)

保健師さんを介し、夫とコミュニケーションをとることが少しできた。
二人では限界すぎて話しあえなかった。
(お互いが限界なので、話すと相手の負担が増える、と思うと話せない。いつもはよく話し合う夫婦なのにこう)

夫が赤ちゃんを邪魔になんて思っていないことがわかった。
話し合い中はすぐに勝手に涙が出てきた。

そして保健師さんは、色々調べたり電話してくれて
赤ちゃんをしっかり見てくれるタイプの「宿泊型」の産後ケアを探してくれたりした。
(ちなみに、この宿泊型産後ケアにより娘との関係もなぜか回復していく。家にいないのがよかったか)

色々あって、自分の無能さを実感して、
いろんな人に頼らないと産めないんだなって実感した週だった。
ある意味覚悟ができた

ポンコツでも、人に頼ったっていい。いろんなものに頼って生きる。

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思い出しながら書いてて、それでもあまりにも辛くて、
この時の気持ちが生々しくてずっと泣いている

どうして近距離の実家に頼ることもできなかったのだろう。
それも含めて産後メンタルなんだと思う。電話ひとつすらできない。
赤ちゃんを迷惑がられる顔を見ると思うと耐えられなかったんだとは思うけど。

死ななくてよかった。私に病識があってよかった。